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 作家馬場卓也のおもちゃと怪獣と仕事の三つ巴生活!  男もつらいし、女もつらい。男と女はなおつらい! てな訳でよろしく
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 前回『この世界の片隅に』を見て。大いに心動かされ、淡々と生きよう、ああ戦争はやだやだ、本当に嫌だよと思ていたのに、今度は宇宙戦争映画ですよ。駄目だなあ。ようやく冬休みに入った次男と一緒に『ローグワン・スターウォーズストーリー』へ。3D日本語吹き替えです。3Dメガネは暗くって見にくいのが何とかならんかな。



 お話はエピソード3から4の間、あのデススターの設計図をだれがいかに持ち去ったのかを描く外伝的作品。外伝とはいえ、あのキャラとかあのメカとかが出ていて十分『スターウォーズ』足りえる内容になっています。



 個人的に驚いたのはデジタル技術の進歩によって復活したあのキャラ。生き返ったのかと思いました。



 ならず者、はぐれ者が集まっての秘密作戦は戦争アクション映画のテイストだし、ドニーイエン扮する盲目の僧侶はどう見えても座頭市だし、ギャレス監督は『ゴジラ』で控えめだったオタク要素が全開になった感じ。本当はこっちのほうが好きなんだろう。


 
 『バリヤーが破れない』と『設計図』はシリーズ通しての重要なキーポイント。これをばっちり押さえておけばスターウォーズに見えるから不思議なものです、スターウォーズには疎いけど、小ネタが多すぎて終始にやにやしっぱなしでした。



 鹿個々の映画が素晴らしいのは、見終わったら、すぐに続きを買うか借りるかして見られるということ。壮大な後出しじゃんけんはこの辺が有利なのです。まだ公開して一週間なので、詳しく書けませんが、とにかく、あの当時の雰囲気がよみがえる作品になっていることは確かだと思います。



 晴天の下、海辺での大戦闘というのはシリーズ初?


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 もうすぐ今年も終わり、振り返れば、映画館で見たものといえば、怪獣か宇宙人か超人が出てくる映画しか見ていない。スターウォーズは子供と約束しているので、ひとりで行けない。しかしどうにも偏食気味である。これはいけない、というわけではないけども、たまには毛色の変わった映画、ほんの少しでも『見たいな』と思ったものを見ておこうと思い立ち、普段はあまり行かないMOVIX堺へ。 

『この世界の片隅に』は、うちの近所ではここでしかやっていない。それも評判が評判を呼んでの拡大上映である。いったい何がいいのだろうか、そんなこともあり、見てみることにした。



 ネットの評判では映画が始まった瞬間、号泣するぐらいにオーバーに掛かれていたが、果たしてそうなのだろうか。まず『泣ける』『感動する』と人に言われることほど心が動かないものはない。そんなものは自分で決めることなのだ。
 映画は戦中、戦後の広島、呉を舞台に一人の女性の目から見たその当時の様子が描かれる。日ごとに激しくなる空襲、そして原爆。しかし、これは戦争を生きる人たちのドラマではなく、『生きてたら戦争があった』人たちのドラマなのだ。



 
 主人公、すずが淡々と生きる。特に大きなドラマもなく、淡々と生きる。ただそれだけで、なんだかホッとする。丸っこいラインのキャラと、緻密に描かれた当時の街並みが温かい。しかし、それだから余計に、ぐりぐりとえぐられるような場面に出くわすこともある。
 


 
 そしてラスト近く、とあるエピソードでウルウルとしてしまった。なぜ? どうしてかはわからないけど、涙流れ、鼻の奥がしくしくと湿り出す。なぜだ? 見終わった後、パンフレットを購入する声が震えていた。



 普通に生きることが難しく、それでいて力強い。そんな日常の積み重ねに、なぜか涙してしまうということは、よほど今の生活がすさんでいるからなのだろうか。



 この映画には怪獣も宇宙人も超人も出ない、でもお化けが出た。ドラマに密接にかかわることもなく、ぼうっと現れるオバケ。オバケにもオバケの事情があり、元からオバケだったり、オバケにならざるを得なかった者もいたり、オバケだったもの、オバケになりかかったものもいる。オバケと戦争が共存する日常は決して創作の中のものではなく、案外近くにあるのかもしれない。そして、すずが進駐軍から残飯をもらう戦後の呉の闇市の片隅では復員兵の菅原文太や、無銭飲食で千葉真一に青竹で袋叩き似合う北大路欣也がいたりするかもしれない。この映画も、同じく戦後の呉から始まる『仁義なき戦い』もどこかで繋がっているようにも思えた。オバケもいるんだから、極道者やテキ屋だって『この世界』にいるはず



 そして『手』の映画でもある。全編通して、手がキーポイントになる。細やかに作画された手の描写は人と人との繋がりを意味しているのかもしれない。人の繋がりもあれば、別れもあっけなくやってくる。それも淡々と、やってくる。ああ、普通はそういうものなのかなあ、と思ってしまう。




 失ったものと、代わりに得たもの、という構造は韓国映画『グエムル』にも似ていると思ったのだが、それは気のせいかもしれない。




 年の瀬に、とんでもなく、愛おしい映画に出会ってしまった。パンフレットが怖くて開けられない。




 
  

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 先週、ウルトラマンガイアとゴジラ誕生祭に来たばかり、だけどまた京都みなみ会館へ。怪獣以外でも魅力ある映画をバンバンやってくれる、そんな京都みなみ会館、外観も内装も昔のままで居心地がいいのです。
 今回は1986年のソ連SF映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』である。そういえば『大怪獣モノ』『地球に落ちてきた男』と、超大怪獣DX以外で見る映画も変なSF映画ばかりなのです。
 ロシアがまだ鉄のカーテンで仕切られていた、ソ連時代。1986年のソ連といえば、ロッキーやランボーの敵役ばかりだった。そんな時、現地ではこんなに呑気で奇妙なSF映画を作っていたのか。
 
 ソ連の平凡な中年と若者が、ひょんなこと(本当にひょんなこと)で砂漠の星キンザザへ。そこで大冒険とか、大活躍、とかあればそれなりに物語は成立しそうなものですが、そんなことしない。強欲でへんてこな地元民と、地元のへんな風習に戸惑いながらも、なんとなく地球への帰還を目指す。『クー』という独特のあいさつに始まり、どの風習も間抜けである。近くはないが『21エモン』と、水木しげるのオチのないダウナーな漫画が合わさったようなテイスト。
 砂漠の風景にポツンと浮かぶ釣り鐘状の宇宙船。ミニチュアと実物をつかいわけており、粗が見えず、生々しい。廃材を集めたようなセット、ぼろのような地元民の衣装もなんだかリアル。でもやることは間抜けである。間抜けだけどほのぼのした味わい。だから、ラストでなんだかジーンとくる。
 80年代、ハリウッドがSFXを駆使したど派手な映像(これも今となってはアナログなのですが)を連発していた一方、ソ連ではこんなのんびりしたSFが作られていたですな、そののち、ソ連は崩壊し、今のロシアへ。クーさえできれば世の中、もっと仲良くなれるのかもしれない。
 みなみ会館では劇中の独特のあいさつ『クー』をすれば割引してもらえるので、いざやってみたら、今日は男性割引の日だったので、意味はなかったクー。
 ロビーではトートバッグ、缶バッジとグッズも豊富だった。でも買ったのはゴジラのクリアファイルでした。  
 
  
 世知辛い世の中、みんなもこれを見て呑気な気分でクーすればいいのに、と思いました。
 

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 前回に引き続き午前十時の映画祭のこと。


 遅れてきたマカロニファンの心を躍らせた『続夕陽のガンマン』に続いては『七人の侍』というニクイラインナップ。さて、いつ行こうか、と思案しつつ、昨日ちょうど時間が空いたので見に行った。こういうのは終日やってほしいものである。あるいは、上映館数を増やすとか。単館リバイバルではなく、全国的に公開されるのはひょっとしたら1991年のニュープリント上映以来かもしれない。しかも今回は4kデジタルリマスター!
 京都みなみ会館で教わったあの4k技術で恐ろしいぐらいに美しい、ひょっとしたら公開時よりも美しい状態で見れるのです。


 
 侍雇って野武士と戦うという単純明快なお話をじっくり描いた3時間半の大作。しかし、これが何度見ても飽きないから不思議。侍をはじめ、百姓も、その他の人々もみんな血の通ったキャラになっている。いじわるそうな、ものすごい顔した馬借も実は百姓の代弁者となって侍の心を動かす。このさりげなさがいい。野武士を排除されるべきものとして描く以上、その他のキャラは実に人間味にあふれている。これが黒澤監督のヒューマニズムなのか。
 

 
 改めて、個性的な七人を見事に描き切ってるなあ。リーダーがいて、若者がいて、おっちょこちょい、愉快な奴、クールな奴、参謀ポジション、日本の集団物の基礎になっているのは間違いない、と思う。そしてみんな仲がいい、。同じ死地に赴くわけだから、連帯感が自然と生まれるものなのだ。だからこそ、あっけない死にざまがとても切ない。


 いまだに邦画のベスト1なんじゃないかと思えるほどに文句なく面白いお話なので、今回はその美しくなった画面を堪能することにした。
 


 すごい、汗の粒がくっきり、着物の繊維も、雨、泥の表現も、木造家屋の木目がくっきりはっきり見える。セリフも聞き取れるぞ! 大ロングでとらえた村の俯瞰図、そこには村人が忙しく動き回っているのが見える。これはもう、朝一の上映とかけち臭いこと言わないで、もっともっと上映回数を増やしてもいいんじゃないかな、と思う。



 平日なのに八割の入り。しかし、これ見てちょっと寄り道して帰宅すると、あっという間に一日過ぎてしまうなあ。



 そして明日はいよいよゴジラ誕生祭2016、それにウルトラマンガイア上映会!



 

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 昨日の京都みなみ会館、ウルトラ、特撮上映から帰宅し、くたくたになっていた。おそらく、いまだ慣れないトークショの司会というのがかなり疲れるのだと思う。成功しようがしまいが、緊張するものなんです。
 そして、日曜日。仕事がない、久しぶりに日曜日を遊ぼう、と決めた。いつも遊んでるような気がするけど、遊ぼう。厳密にいえば、仕事がないわけでもないが、この機会を逃す手はない。と、いうことで難波へ『午前十時の映画祭』で上映『続夕陽のガンマン・地獄の決斗』である。前回『荒野の用心棒』の時は見逃してしまった。しかし、今回は見逃したくない。なにせセルジオ・レオーネの映画をスクリーンで見れるのだ。
 父が持っていた『夕陽のガンマン』のシングルレコードがきっかけでマカロニウェスタンにハマってしまった学生時代。いまよりソフトの数もなかったあの頃、スクリーンでマカロニを見れるなんて夢のまた夢だった。それが4Kという高画質で蘇る! 
 南北戦争の頃、隠された黄金を巡る3人の男の友情、裏切り、出し抜きあい、そして決闘。今回嬉しいのはソフト版では抜けていた『地獄の決斗』のサブタイトルがついていることだ。高画質で蘇る西武、に見立てたスペインの空に、そそり立つ山々、砂漠。女っ気ほぼ0の男の世界、汗も髭もばっちり見える。クリント・イーストウッドの『ドル三部作』の最終作。科目だけ土壌に熱いキャラはそのまま、今回ラストでついにポンチョに着替えることから、この作品から、『夕陽のガンマン』『荒野の用心棒』へと時代が逆行するのでは、と思われる。
 リーバンクリーフの冷酷な悪役、イーライ・ウォラックのどこか抜けた卑劣感もいい。イーライが何かするたびに場内爆笑。場内は八割の入り、ほとんどがマカロニ直撃世代の年配の方と思われる。
 
 
 前作、前々作で成功を収めたレオーネが挑む南北戦争の世界はとにかく本格的。砲撃で朽ちた町、橋を挟んでの南北両軍の激突、本当にこれがマカロニかと思えるほど、セットもエキストラの数も豪華。圧巻は『地図だとただの染み』扱いの橋の爆破ではないか。
おそらく一発撮り、俳優もスタッフも大変だったのでは。
 モリコーネの劇伴も絶好調で、アエアエアーのコーラスが心地よく、どこか笑いを誘う。今回の上映バージョンはブルーレイと同じく完全版? と思われ、ところどころイーライ、イーストウッドの声が老けている。これは、完全版を製作するにあたって、英語温泉がないために、最近になって両名に吹き替えてもらったためと思われる。ビデオソフト版から、見るたびに長くなってくる不思議な映画。でも飽きさせない。ラストの決斗はわかっているけどテンションが上がるのだ。


 金に目がくらんだ人間のドラマ、という点では昨日の『妖怪百物語』『士魂魔道大竜巻』にも通じる。昨日は時代劇で、今日は西部劇。この調子で最高傑作『夕陽のガンマン』もやってほしい、と思うのです。

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プロフィール
HN:
馬場卓也
性別:
非公開
職業:
作家
趣味:
怪獣
自己紹介:
作家。一応作家。
CS放送のシナリオ公募で佳作入選。
『SHUFFLE! アンソロジーノベル』
でデビュー。
『School days 君といる、空』で長編デビュー。(ともにJIVE )

『真田十勇姫!』(ソフトバンクGA文庫)
シリーズほか、チョコチョコと。
ラノベ、ゲームシナリオ等々、何でもやりますのでお仕事お願いします。
 怪獣とかチャンバラが好きやねんけど、女の子率高いなあ。


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